古代ハワイは、ポリネシア系先住民のみの単一国家で、全てのものには精霊マナが宿ると考えられていました。
文字をもたなかった時代、神話・伝説そして神々への祈祷などは、詠唱者によってmeleoli(メレオリ)という詩で表されました。oli(オリ)は、旋 律や抑揚がほとんどないものでしたが、そのoliの内容を手の動き・足のステップ・視線や表情で表現したのが今日のHulaの始まりとされています。
18世紀にジェイムズ・クックが欧米人として初めて船団を率いてハワイ島に上陸し、ハワイは世界に知られる事となりました。当時の彼らの書には、ハワイではHulaが盛んに踊られていたことが記されています。
古代から、伝統的に踊られてきたHulaでしたが、19世紀前半、キリスト教の宣教師達により、「野蛮で、淫らなもの」と見なされ、教会と関係の深かったハワイ王室によって、フラを公の場で演じることを厳しく禁じられてしまったのです。
自然崇拝が、キリスト教布教活動の邪魔になると判断したためです。このようにして、ハワイの伝統文化は一時暗黒期に入ってしまいました。
しかし、19世紀後半に即位したカメハメハ5世や、カラカウア王が、ハワイの伝統文化の重要性を認識し、先住民の文化を取り戻すため文化復興の運動をおこ します。王はHulaの復興に力をいれ、フラを奨励し、完全に復活させました。また、19世紀後半になると、欧米からの音楽や楽器が導入され、その結果と して、従来の打楽器のリズムのみで踊るKahikoとは違い、ウクレレなどの楽器の演奏でメロディと共に踊る新しいスタイルの‘Auanaが発達する事と なりました。現在では、Kahiko、’Auana共に楽しまれています。